2015年08月05日

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

タイトルからしてすでに悪意を感じる。目新しいことはなにもなく金珠の主張
とほぼ軌を一にする。すなわち軍が関与して慰安所をつくらせた。規制緩和の
ようなものはあったかもしれないが、国や軍がその本分とはまったく異なる女
郎屋を直接つくるわけがない。女史は元慰安婦の話を聞いてまわったというが、
結論ありきで妄想をふくらませて推理につぐ推理で本を構成しただけだ。

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

朝鮮人慰安婦が日本人兵士と擬似的家族なり、最後には最前線に送り出す役を
させられたというのが初耳だったので驚嘆した。いつも思うが、銃弾の飛び交
う戦場近くで慰安婦たちは足手まといでしかない。慰安所にのこのこ出かける
のは一部の風俗好きのオタクだ。慰安婦にみんながなびいたわけではなく、む
しろその姿を横目にみて眉をひそめる清廉な軍人もたくさんいたはずだ。とり
わけ疑問なのは、朝鮮人従軍慰安婦というがその詳細な生態がまったく明らか
にされていない。米軍が捕虜としてとらえて尋問しているのはよく知られるが、
その内容はただの金目あての娼婦であったと明確にされている。生き証人がい
るのなら日本の国会の場で衆人環視のもとで証人喚問するべきだろ。食事は、
風呂は、余暇の過ごし方は、貧乏子だくさんというが家族の構成は、客をとっ
たというがそのほとんどは同胞の朝鮮系だったのでは・・・云々。だが、この

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

著者も結局は謝罪だの賠償だのを暗に要求しているだけなんだ。この人に耳を
傾けるほどの価値はないと看てとった。女教授のせっかくの努力にもかかわ
らず正直者らしき同胞が兄弟で女郎屋を経営してたと告白している。多くの人
が指摘しているように朝鮮人が慰安所経営に手を染めていたというのは真実ら
しく思われる。彼らの言っていることが当事者しかわからない事で構成されて
おり、またすべてつじつまが合う。もしかしたら朝鮮系日本人のほうがこうい
う商売には向いていると本来なら兵役につくところをお目こぼしにあずかった
かもしれない。朴祐河教授もばつが悪いことにこんな時に登場するとは。

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

第一、第二名月館――朝鮮人経営女郎屋 朝鮮メデイアが一斉に報道!!

【慰安所の実態】旧日本軍にいた韓国人「朝鮮人慰安婦がいない所はなかった。
慰安所の運営者は韓国人の兄弟だった」

旧日本軍にいた韓国人 映像で慰安婦や軍事裁判を証言
2015年8月3日 聯合ニュース

【ソウル】韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が3日、太平洋戦争中に旧日本軍
の軍務に就いていた韓国人の生前のインタビュー映像を公開した。この韓国
人は、旧日本軍の朝鮮人慰安婦や日本敗戦後の軍事裁判の経験について証言
している。

遺族会によると、ソン・ボクソプさん(1916年生まれ、故人)は強制徴用
から逃れようと1940年代初めに旧日本軍の軍属となり、インドネシアで捕
虜の監視や補給などにあたった。1945年の終戦後はスマトラ島のパレンバ
ンにできた自治組織「朝鮮人会」の監察役を担ったが、翌年2月に連合軍に逮
捕され、7月にシンガポールで英国による軍事裁判の法廷に立たされた。

「朝鮮人慰安婦がいない所はなかった」
遺族会が今回公開したのは1990年代初めに撮影されたインタビュー映像の
一部だ。この中でソンさんは「当時パレンバンにいた旧日本軍慰安婦は『第1
明月館』『第2明月館』の二つに分かれていた。スマトラでもシンガポールで
も、近くに朝鮮人慰安婦がいない所はなかった」と話した。
名月館の運営者は韓国人の兄弟で、旧日本軍に協力して慰安婦を管理すること
で庇護を受けていた。この兄弟は日本敗戦後、朝鮮人会に入れず、むちで打た
れたという話を聞いたという。

「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河女教授が登場するも・・・

ソンさんは1992年に韓国の地方紙に対し、スマトラで朝鮮人会の幹部だ
ったころに人員を把握するために書きとめていた61人の女性の名簿を公開し、
これら女性は全員、旧日本軍の慰安婦だったと証言している。
ソンさんが連合軍に連れて行かれたのは朝鮮人会に入ってから1カ月後のこと
だったため、元慰安婦のその後については知らない。

元英国人捕虜の証言のおかげで九死に一生
旧日本軍の軍務に就いた朝鮮人はBC級戦犯として東南アジア各地で連合軍
による軍事裁判を受けるケースが多かった。

ソンさんもシンガポールでの裁判で死刑を宣告されそうになり、思わず当時
監視を担当していた英国人捕虜を呼んでほしいと頼んだ。ソンさんは捕虜だ
った中佐に人道的に接しようと努め、たばこやコーヒーをひそかに差し入れ
るうちに親交を深めた。知らせを受けた中佐がアフリカから飛んできて証言
した結果、ソンさんは無罪を言い渡された。この裁判で無罪となった朝鮮半
島出身者はソンさんを含め2人だけだったという。

しかし、ソンさんはその後もオランダやインドネシアによる軍事裁判の法廷
に立たされ、戦犯として扱われた。1947年5月にようやく長崎・佐世保
に移され、釜山経由で故郷の全羅南道に戻ることができた。

ソンさんは命の危機にさらされたこうした経験に対し、日本は十分に補償す
べきだと訴えた。聯合ニュース

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/03/2015080301609.html

元朝鮮人軍属の生前の証言 犠牲者遺族会が映像を公開
朝鮮日報

従軍慰安婦の強制動員を公式に認めた河野談話の発表22周年を翌日に控え
た3日、旧日本軍の軍属として太平洋戦争に参戦し、戦場で慰安婦を目撃し
ていた韓国人の生前の証言映像が公開された。

~本文後略~

イ・オクチン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

インドネシアで韓国人兄弟が慰安所運営 門の前には「一発50銭」

金を取っているって完全に売春婦じゃねか

朝日新聞はスクープ書かなきゃな

朝鮮半島出身慰安婦は朝鮮半島出身の日本軍もしくは軍属に抱かれていたと
いうことです。

スマランで現地の女性やオランダ人女性を必要としたのはインドネシア人の
要望があったからです。

第二次世界大戦に参加した朝鮮半島出身軍人は全て朝鮮半島出身慰安婦を
抱いていますが、誰一人謝罪しません。

朝鮮人慰安婦は朝鮮人業者が用意をして朝鮮人業者が運営する慰安所で働い
ていた。ここに日本軍が、どれだけ責任を負わなければいけないか、あって
も非常に限定的なものであることは誰も否定できないでしょう。

その朝鮮人業者を誰も処罰しようとしないことが一番の異常です。

仲介斡旋していた業者がいたんだよ。しかも戦地では朝鮮人業者が大半で
ある。

娼婦、女郎につきものの仲介業者や女衒

内容を見た限りじゃ強制連行の話なんてまったく無い。

単に朝鮮軍属をふくめ日本兵相手に商売していたとしか読めん。

朝鮮人が運営し、金もとっていた。何か問題あるのか?

慰安所の経営は朝鮮人兄弟

家族でやっていた家もあるかも。手が足りないときは醜い婆に母親に姉妹が
参戦。

韓国人が捕虜監視員してて連合軍捕虜を拷問してた話は事実だ。

日本軍が直接関与したことはなく、業者が連れてきた慰安婦

第一、第二名月館――朝鮮人経営女郎屋

【慰安所の実態】旧日本軍にいた韓国人「朝鮮人慰安婦がいない所はなかった。
慰安所の運営者は韓国人の兄弟だった」

旧日本軍にいた韓国人 映像で慰安婦や軍事裁判を証言
2015年8月3日 中央日報

【ソウル】韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が3日、太平洋戦争中に旧日本軍
の軍務に就いていた韓国人の生前のインタビュー映像を公開した。この韓国
人は、旧日本軍の朝鮮人慰安婦や日本敗戦後の軍事裁判の経験について証言
している。

~本文全略~

朝鮮人は自省してほしい。もともありもしない「慰安婦問題」は国内で
すべて解決すべきだ。




Posted by びーがたらよーん at 04:34│Comments(0)
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