2018年07月07日

オーム主犯格に絞首刑執行

異例の“7人同時執行” 幹部ら
選んだ死刑はなぜ今行われたのか?
7/6(金) FNN PRIME

法務省は6日、地下鉄サリン事件などを起こした
オウム真理教の元代表、麻原彰晃こと松本智津夫
死刑囚(63)と元幹部の計7人の死刑を執行した。

オウム死刑囚ら13人をまとめる

オーム主犯格に絞首刑執行

オウム真理教による一連の事件では、松本死刑囚の
ほか、12人の死刑が確定している。

異例の“7人同日執行” …なぜこの7人が?

松本死刑囚のほかに死刑執行されたのは、井上嘉浩(48)、
早川紀代秀(68)、中川智正(55)、新実智光(54)、
遠藤誠一(58)、土谷正実(53)の各死刑囚。7人の同日
死刑執行は異例のことだ。

ではなぜ、このタイミングだったのだろうか。
そして、なぜ13人のうちこの7人が6日、死刑を執行され
たのだろうか。

「直撃LIVEグッディ!」ではオウム真理教家族の会の
代表・永岡弘行さん、伊藤芳朗弁護士、警視庁元捜査1
課長の山田正治さん、フジテレビ社会部の平松秀敏デス
クにお話を伺った。

安藤優子:
死刑執行された7人と、いまだ執行されていない6人、
どのように線引きされたと考えられますか?

平松氏:
明らかに、教団内の地位の高さや役割、大きい事件で
深く関与している人間を選んで執行したと思います。
林泰男死刑囚や横山真人死刑囚、地下鉄の中で実際に
サリンを散布した人間は、今回死刑執行されていない
んです。それよりも、それを教団の意思として決めた
人間、犯罪行為を行わせた人間の罪が重いという考え
から、この7人を選んだと思います。

安藤:
きょうの死刑執行について、どういう思いを持ちましたか。

永岡氏:
残念ですね。もっともっと、解明しなければならない
ことが多々あると思います。

安藤:
松本死刑囚は法廷でも意味のないことをつぶやいて、法廷
の場では何も語らないに等しかったですよね。なぜこのよ
うな事件が起きたのか、その解明は何一つされていないと
言ってもおかしくないと、私も思います。

伊藤弁護士:
松本死刑囚の死刑執行については、やっとここまできたか、
という思いはあります。それ以外の6人については、法律で
決まっていることでやむを得ないとはいえ、加害者の側面と、
松本智津夫によって絡めとられた被害者の側面があるという
ことは、忘れてはいけないと思います。




大村正樹フィールドキャスター:
オウム真理教の13人の死刑囚は、東京拘置所に身柄を
置いていましたが、今年3月に7人が移動しています。

大村:
東京拘置所ではきょう、松本智津夫死刑囚、土谷正実
死刑囚、遠藤誠一死刑囚の3人が死刑執行されました。
1つの拘置所でこれだけ多くの人が執行されるのは聞い
たことがないのですが…。

平松氏:
私の知る限りは、1日の中でしかも午前中に、3人も同じ
刑場で死刑執行するというのは、前例がありません。

安藤:
東京拘置所の刑場はいくつあるんですか?

平松氏:
1つしかないと言われています。

大村:
死刑執行までの流れが、こちらです。

幹部の一斉執行は“騒ぎ”避ける目的か

<死刑執行までの流れ>
(1)死刑囚には、当日の朝に死刑執行されることが
伝えられ、その後刑場へ移動する

(2)教誨室(きょうかいしつ)…宗教者と一緒に向
き合い、希望に応じて遺書を残すことができる。お茶
やまんじゅうを食べられる

(3)前室…死刑執行を正式に告げられる部屋。ここで、
目隠しと手錠をされる

(4)執行室…踏み台の上でロープをかけられる。刑務
官3人が同時にボタンを押して執行される

オーム主犯格に絞首刑執行

平松氏:
今回は同じ刑場で午前中に3人が執行されました。これら
の手続きは結構時間がかかると言われていますから、どれ
くらい時間の間隔をあけて3人の手続きが踏まれたのか?
私も気になっているのですが…今のところ法務省に対する
取材では、そのあたりの詳細や執行の順番など明らかにさ
れていません。

大村:
今年の3月に13人の死刑囚のうち7人が別の拘置所に移動し、
近いうちに死刑執行があるのではないか?と言われてきま
した。4カ月近くたって、なぜ法務大臣がきょうを執行日
としたのか?どうお考えでしょうか。

伊藤弁護士:
すべてのオウム事件の裁判が終わりました。死刑囚を証人
として呼ぶ可能性もなくなりましたから、あとはいつ執行
するかだけだったと思います。法務省としては、死刑執行
というとどうしても国内外でいろいろと反対意見もありま
すから、なるべく大騒ぎになってほしくない時期を選んだ
んだろうと思います。

安藤:
1つの刑場で3人も執行するのは極めて異例だと思いますが、
スケジュールを詰めて執行した意味は何かあるんでしょうか?

伊藤弁護士:
この7人は非常に主体的な役割を持った人たちです。こういう
人たちを少しずつ執行していったのでは、そのたびに注目を
浴びていくことになります。そのため、13人のうち世間的に
もよく知られていて重要な役割を担っていた7人は一気に執行
したのではないかと。あとの6人は世間的にはあまり知られて
いないメンバーだと思いますので、今後は大きく騒がれない
だろうという計算ではないでしょうか。

安藤:
今回の死刑執行によって与える影響を最小限に留めたかった
ということですね。

安藤:
そして遺体の今後なのですが、特に松本智津夫死刑囚の遺体に
ついては、どうなるんでしょうか?

平松デスク:
松本死刑囚が、なんらかの遺言などを残していればその人物
に遺体が渡るんですが、そうでない場合は、通常ですと親族
に引き渡されます。親族は何人もいますし、逮捕された親族
もいます。遺体を渡した親族が後継団体と何らかの繋がりが
あった場合、遺体は神格化される可能性が高いです。変な話
ですけど今(松本智津夫死刑囚の)髪の毛一本が100万円とか
って言われている話もあるので、遺体を燃やした後の遺骨は
どうなるのか。警察も含めて、公安調査庁も注視していかな
ければいけないことだと思います。




オウム真理教 死刑執行された7人 
裁判で判明した“恐るべき役割”とは
7/6(金) FNN PRIME

7月6日死刑が執行されたのは、オウム真理教の
教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら7人。
裁判で明らかになった、それぞれが果たした役割は
なんだったのか。

松本智津夫死刑囚

オーム主犯格に絞首刑執行

松本死刑囚は1984年、「オウム神仙の会」代表と
して宗教活動を始めた。
その後オウム真理教へと名前を変えて信者を増や
していくと、1990年の衆議院選挙に幹部らと共に
立候補したが、全員落選。

1994年 6月松本サリン事件を起こして住民8人を
殺害し、1995年3月には、死者13人、6300人以上
が負傷する地下鉄サリン事件を起こした。
このほかにも坂本弁護士一家殺害事件など、あわせ
て13の事件でいずれも犯行を首謀したとして殺人な
どの罪に問われ、2006年9月に最高裁で死刑が確定
した。

松本死刑囚は、2004年の一審判決以降、公の場に姿
を見せていない。

井上嘉浩死刑囚
1969年、京都市に生まれた井上嘉浩死刑囚は、高校
時代に教団の前身「オウム神仙の会」に入信。
松本智津夫死刑囚の寵愛を受け、25歳の若さで教団
幹部の地位に上りつめた。

松本死刑囚から、釈迦を守るため最後まで行動をと
もにした伝説の聖者「アーナンダ」のホーリーネー
ムを授けられた。

教団内では、裏の実行部隊「諜報省」のトップを務め、
盗聴、誘拐、襲撃など、オウム真理教のダーティな部
分を担ってきた。
地下鉄サリン事件では、サリンをまく実行部隊をとり
まとめる役割を果たしたとされる。

96年3月。初公判前、井上死刑囚はオウム真理教を脱
会した。
一審では無期懲役の判決を受けたが、その後、二審で
「総合調整といえる重要な役割」と指摘され、逆転の
死刑判決を受けた。井上死刑囚は上告したが、最高裁
が棄却し、2010年に死刑が確定した。

早川紀代秀死刑囚
早川紀代秀死刑囚は、大阪出身で神戸大学農学部、
大阪府立大学大学院を経て大手ゼネコンに就職し、
その後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に
入信。

新実智光死刑囚とともに、常に松本智津夫死刑囚の
両脇を固めていた。

山梨県上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれる
教団施設の建設など国内の勢力拡大や海外進出、そし
て武装化の中心的役割を果たした。
教団の「陰の司令塔」などと呼ばれた早川死刑囚。

ロシアに頻繁に訪れ、機関銃などの武器を日本に持ち
込もうとしていた。 坂本弁護士一家殺害事件などあわ
せて7つの事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した。

新実智光死刑囚
新実智光死刑囚は、1986年にオウム真理教に入信・出家
した古参の幹部で、オウムが国の組織に似せて作った省
庁制が始まってからは「自治省大臣」を務めた。

地下鉄サリン事件ではサリンをまく実行犯を現場に送る
送迎役を果たし、松本サリン事件では噴霧現場で周囲を
警戒する役目をになった。

坂本弁護士事件では一家3人を殺害。
新実死刑囚は幼い龍彦ちゃんの首に手をかけたとされ
ている。
検察側は、裁判で、新実死刑囚の役割について「最も血
なまぐさい役割」と指摘した。

教団が起こした7件の殺人事件全てに関与したと裁判で
認定された。

土谷正実死刑囚
土谷正実死刑囚は、筑波大学で有機化学を専攻し、1989年
に教団に入信した。
教団が先鋭化していく中で、化学兵器の製造で中心的な
役割を果たした。

当時、山梨県旧上九一色村にあった教団施設には、土谷
死刑囚の教団名(クシティガルバ)を冠したプレハブ小屋
が作られ、土谷死刑囚はこの中でサリンやVXなど殺人に使
われた化学薬品を次々に生成していった。

松本智津夫死刑囚への強い忠誠心をみせた土谷死刑囚は、
法廷でも化学の専門知識を誇示するような発言を繰り返
した。
一方、検察側は「松本死刑囚の期待に応えて積極的にサリ
ンを生成しており、悪魔に魂を売り渡した殺人化学者その
もの」だと糾弾して死刑を求刑。

死刑判決を受けた2004年の一審判決以降、一度も公の場
に姿を見せず、最高裁で死刑が確定した。

中川智正死刑囚
中川智正死刑囚は、岡山県出身で京都府立医科大学卒業後、
研修医として病院に勤務。
1989年に病院を退職し、オウム真理教に出家した。

教団では「オウム真理教附属医院」の顧問のほか、松本
智津夫死刑囚の主治医として、教団幹部へとのぼりつめた。

出家して、わずか2か月後に関与した坂本弁護士一家殺害
事件では、龍彦ちゃんの口を押さえた。
猛毒サリンの製造にも積極的に関わった。

坂本弁護士一家殺害事件に加え、松本サリン事件、地下鉄
サリン事件など11の事件で死刑判決を受けた。

遠藤誠一死刑囚
北海道出身の遠藤誠一死刑囚は、京都大学大学院医学研究科
博士課程でウイルス学、遺伝子工学を学んだ。
オウム真理教に入信後は、オウムの「厚生省」と呼ばれた
組織のトップを務め、ボツリヌス菌や炭そ菌など生物兵器
となる細菌の培養、LSDや覚せい剤など違法薬物の製造に
あたっていた。

そして、1995年、松本死刑囚の指示を受けた遠藤死刑囚は、
地下鉄にまくサリンを土谷正実死刑囚らと共に製造した。

松本智津夫死刑囚の著書では「聖者ジーヴァカ正悟師」と
紹介されていた。
猛毒のサリンを製造するなど4つの事件で死刑判決を受けた。




<EU>日本に死刑の執行停止求める
7/6(金) 毎日新聞

松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚

欧州連合(EU)の駐日代表部は6日、加盟国の
駐日大使らと連名で、日本政府に執行停止の導入
を訴える共同声明を発表した。死刑撤廃を加盟の
条件とするEUは国際社会でも死刑廃止を目指し
ている。

オウム真理教事件

声明ではオウム事件が「日本と日本国民にとって
つらく特殊な事件であることを認識している」と
述べ、テロ行為を非難すると共に犠牲者や遺族に
共感の意思を伝えた。その上で死刑には「犯罪抑止
効果がない」と指摘し、冤罪(えんざい)による
過誤も「不可逆」だとして「いかなる状況下での
極刑の執行にも強く明白に反対する」と主張。日本
政府に死刑廃止を前提とした執行停止の導入を訴えた。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナル
(本部ロンドン)も6日、「司法当局には説明責任
だけでなく、すべての人権を尊重することが求めら
れているが、死刑は究極の人権の否定である」と非
難した。

テロや犯罪者をそ

の場で射殺する事を認めてるEU

その場での射殺はほぼあり得ない日本

色々とトータルして考えるべき議題

冤罪死刑もあるしね、

EUのいう事はわかる。

でも今回の7人は違うぞ?

冤罪になり得る状況でもない。

ところで、米国でも死刑はまだ存在している

けどそこにもちゃんと申し入れているのかな?

それでは

殺され損じゃないかと

素朴に思うけどね。

抑止効果なんか期待してない。

気持ちの問題。

余計なお世話です。

あなた方の価値観が

全てでないことを悟るべき。

EUはEU で勝手にやれば良いと思う。

こういうところはヨーロッパは傲慢だよね。

死刑を望む人も多いし、

他国が口を挟む事じゃないよね。

死刑制度は必要です

死刑は場合によっては必要だ

大きなお世話様

国民の大多数が反対に成ったら

死刑も廃止になるかもね?

でも今はまだ無理だと思う・・・

命を償うには

命が必要だと思う人が多いから・・・俺もw

TBSも重要な役割を果たしたと

思うがどこにも出てこない。

メディア同士のタブー事なのか!?

目には目を

という公平な考え方が

一番単純で最善な裁判勘

27歳ですでに詐欺師… 
麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?
<麻原彰晃の真実(1)>〈週刊朝日〉
7/6(金) AERA dot.

オーム主犯格に絞首刑執行

地下鉄サリン事件発生直後の
日比谷線築地駅付近 

6日、法務省が発表した、オウム真理教元代表の
松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部
の死刑執行。多くの謎を残したままの死刑執行に、
様々な声が挙がっている。麻原彰晃とはどんな人物
だったのか? 6千人を超す死傷者を出した地下鉄サ
リン事件から17年となった2012年。最後の特別手配
犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売され
た『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』で徹
底的に取材した麻原像を、特別に公開する。日本中を、
いや世界を震撼させたオウム事件とは何だったのか。
「尊師」と呼ばれた男の半生と、テロにつながった
「狂気」の全貌を、全3回で明らかにする。

【麻原彰晃と教団「諜報省」トップの井上嘉浩】

「私の生い立ちは不幸だった。泣いてばかりいた」

「尊師」と呼ばれた男はかつて、オウム真理教幹部の
一人にこう漏らした。地下鉄にサリンをまき、拉致や
殺人を繰り返す「狂気の物語」は、そんな男の少年時
代の苦悩から幕を開ける。

■狂気の芽

日本の三大急流のひとつ、球磨(くま)川が八代海に
注ぐ熊本県八代市高植本町(たかうえほんまち)。オウ
ム真理教の教祖、麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと
松本智津夫死刑囚(以下、麻原)の実家は、藺草(いぐさ)
畑の緑が広がるこの町にあった。地下鉄サリン事件の翌年
に母が76歳で亡くなり、97年にはここで鍼灸院を営んでい
た長兄が53歳で死去。畳職人だった父は「もうここには
おられん」と、間もなく町を去った。その父も08年、92歳
で逝った。長兄が建て直した実家は解体され、いまは更地
になっている。




1955年3月2日、麻原は生まれた。一家は両親と男5人、女2人
の7人きょうだい。下から2番目にあたる四男として育った。
ほかに姉と弟が1人ずついたが、ともに1歳でこの世を去って
いる。

11歳年上の長兄は全盲で、熊本市内にある県立盲学校で寄
宿舎生活をしていた。麻原も先天性緑内障で左目は見えな
かったが、右目は弱視ながらも見えたため、自宅近くの小学
校へ進んだ。

おとなしくて、女の子とままごとばかりしている子どもだ
った。どうしても目を細めがちだったので、女の子からも
いじめられることもあったという。

小学校に入学した年の秋、麻原の人生に最初の転機が訪れた。
家から40キロ離れた、長兄と同じ盲学校へ行くことになっ
たのだ。

子だくさんで貧しい家庭の先行きを案じた両親が、就学奨
励費の受給を目当てに、転校を決めた。それが、後に世界
を震撼させる「狂気」の下地を作ることになると、誰が思
っただろうか。

「親に捨てられた」との思いを強くした麻原は毎日泣き、
転校を嫌がったが、

「傾きかかった小屋のような家で、土間にむしろを敷いて
生活していた。長い教師生活の中でも、あれほど貧しい家は、
見たことがなかった」(盲学校小学部時代の教諭)

という状況では、いたしかたなかった。

全盲の生徒も多いなか、右目が見えた麻原は、勉強でも
運動でも目立った。体格もよかった。中学部から柔道を
始め、高等部で二段を取得。校内でバンドを組み、ボー
カルを担当した。西城秀樹の「情熱の嵐」が十八番(おはこ)
だった。

こうして小、中、高、そして鍼灸師の資格を取った専攻
科と、14年間の寄宿舎生活の間ずっと、麻原は同級生や
下級生に君臨した。一方で、決して上級生には刃向かわ
なかった。

小学部の時は、人形劇をまねた「サンダーバードごっこ」に
熱中し、自分が隊長になった。紙で作ったタスキと帽子を
同級生につけさせ、「1号」「2号」……と呼んで従えた。
気に入った「隊員」には、キャラメルのおまけを与えた。
中身は自分で食べた。

中学部時代は寄宿舎の部屋で「プロレスごっこ」の毎日
だった。同室の仲間同士を無理やり戦わせたが、麻原以外
の5人は仲がいい。当然、遠慮し合う。すると麻原は「こう
やれ」と言って、自分で仲間を殴った。殴っては笑っていた。

お気に入りの取り巻きには優しかった。いつも子分のよう
に振る舞う全盲の生徒がいた。麻原はその生徒に読ませた
い本を手に入れてきては、同室の目の見える生徒に命令した。

「徹夜してでも、朝までに点訳しろ」

翌朝、出来上がった点訳を、得意げに渡した。

カネへの執着もすでに見てとれる。小学部高学年のころ
教諭に、

「先生、僕は大きくなったらカネもうけするから、億の
単位で貸してあげる」

と言って驚かせた。

「金持ちにならなきゃ」

が口癖だった。

小学部5年のとき、麻原は児童会選挙で会長に立候補した。
落選すると、職員室に行って親しい教諭を教室に呼び出し、
その面前で声を上げて泣いた。

「先生が落としたんだ。みんなに『票を入れるな』って
言ったんだろう」

驚いて、教諭は尋ねた。

「どうして、そんなごまかしをすると思うの? 智津夫
君は、みんなに好かれていると思う?」
「うん」
「どうして?」
「僕は3カ月前も前から、『よろしく』って、みんなにお
菓子を配ったから。寄宿舎で出るおやつをためて」

教諭は「この子はとんでもない勘違いをしている」と感
じた。すると麻原は泣き腫らした真っ赤な目で、

「僕には人徳がなか」

と漏らした。

しばらくたってから、配ったお菓子は、ほかの児童から
奪ったものだったことがわかった。

中学部、高等部でも生徒会長に立候補したが、落選。寮長
の選挙にも落ちた。

将来の自活のため、地道な努力を重ねるしか無い全盲の仲間
たちの中で、いくらかでも外の世界を見ることができて、力
にモノをいわせられた少年は、「王様」であり続けた。とこ
ろが、選挙には落ち続け、自己顕示欲を満たしきれなかった。
そうした複雑な欲求不満を抱えたまま、麻原は75年3月に盲学
校を卒業した。

最初は眼科医を目指していたが、当時は視覚障害があると医師
免許を取れなかったため、断念。卒業して半年ほどたつと、麻
原は数人の教諭に電話をかけ、

「中国に行って鍼灸の勉強をしたい。漢方薬の勉強もして、中国
に東洋医学の研究所をつくりたい。だから餞別をください」

と頼んだこともあった。

卒業の翌年に麻原が数カ月間働いた熊本市内のマッサージ店主
は、こう話す。

「大学受験のために、よく勉強していた。熊本大に行くのかと
思って聞いたら、『あんなところは、おかしくて行かれん。
東大か早稲田に行く』と。自負心が強くて、うぬぼれている
ところがありました」

■宗教とカネ

予備校へ通うため、22歳で東京へ。このころ周囲には、
「東大の法科へ行って政治家になる」と話していたという。

「代々木ゼミナール」に通い始めてまもなく、通学電車の
中で同じ代ゼミに通う女性と知り合った。彼女との間に子
どもができると、東大受験を諦めて、78年1月に結婚した。

新婚の二人は千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。同年
7月には長女が誕生。9月には鍼灸院を閉じ、市内の別の場所
に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開いた。

麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』によると、麻原が
宗教に目覚めたのは、このころだった。鍼灸治療で完治し
たはずの患者が、元の生活に戻ると、すぐに再発してしまう。
その様子を見て、「自分は無駄なことをしているのではな
いか」という疑問がわいたのがきっかけだったという。

<そのとき初めてわたしは、立ち止まって考えてみたので
ある。自分は、何をするために行きているのだろうか、と、
この"無常感"を乗り越えるためには、何が必要なのだろうか、
と>

こうして麻原は運命学や漢方、仙道(仙人の術)に熱中す
るようになった。

亜細亜堂は繁盛したが、80年7月、健康保険薬剤不正請求で
670万円を追徴され、閉店した。近所の医者から白紙の処方
箋を入手し、適当な金額を記入しては、健康保険組合などに
調剤報酬などを不正に請求していたのだ。

閉店の1カ月後、麻原は阿含宗に入信。さらにヨガや「肉体
修行を通じて個人的な解脱を目指す」小乗仏教的世界にの
めり込んだ。

81年2月には「BMA薬局」を開業したが、翌82年7月にニセ薬
を売った薬事法違反容疑で逮捕された。煎じたミカンの皮な
どから取り出したエキスを「万能薬」と称し、「リューマチ、
神経痛、腰痛が30分で消える」などという謳い文句で都内の
高級ホテルの一室に人を集めて10万円近く販売。売上は1千万
円以上に膨らんだ。麻原は略式起訴されて罰金20万円を支払い、
再び店を閉じた。

この二つの事件を振り返ると、盲学校時代に垣間見えた麻原
の危うさが肥大し、はっきりと形になってきているのがよく
分かる。

麻原は、カネへの執着の強さから、27歳で詐欺師になり果て
ていた。(年齢肩書などは当時)

*選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代の
トラウマ <麻原彰晃の真実(2)>へつづく

※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月
15日号)から抜粋

貧乏子だくさん

低脳子だくさん

あとさきが考えつかない

結論。幼少期の環境が人間を作る。

最近の事件も同じく。

変な家庭が殺人者を作る。

そういうDNAなのかもしれんが。

理想、妄想が強すぎるのは

現実の自分を認められない反動かな

ガキの頃から、発想のピントが

ずれていたんだね。

つまり、サイコな奴は更生

出来ないって事ですね。

マスコミは被害者の葬儀に行ったり

するよりも、加害者がどのような環境で育ち、

事件につながる人生を過ごしてきたのか

を報道してほしい。

ふーん。真面目に読んでしまった。

起こるべきして起きたんやな。

寄宿舎で生活していて

考えを改めるよう指導してくれる教師は、

いなかったのかなと思います。

両親の無計画な子沢山が生活苦の原因を作り、

障害者とは言えない麻原が自分より

弱い立場の人たちの中で

おかしなモノを作っていったんですね。

子沢山といってもこの時代の人達には

普通のことだったのかな、、

「子だくさんで貧しい家庭の先行きを

案じた両親が、就学奨励費の受給を

目当てに、転校を決めた」
 ↑
この父親、麻原に「眼が見えない

振りをしろ」と話したらしい。

福祉関係者の方なら御解りかと思うけど、

かなり強烈なメッセージだよね。

麻原が「ノストラダムスの大予言」に

傾倒してわざわざ著者に会いに行き自分に関して

記述されてる予言は無いかと聞きに言ったと

先週、NHK、BSで見ました。

自分は選ばれた特別な存在だと

思ってたのでしょう。

同じく九州出の桝添と

似ているような気がした。

犯島に近い場所がら、病気持ち

種族が移住してきてもおかしくない。

桝添と麻原、そしてソフトバンクの

恨はげソンとが重なってみえます。

詐欺師の資質が半端ねえ

一攫千金ばかり追い求めて、

地道な努力が出来ない。

詐欺師の典型的な性質ですな。

予備校時代に出会った奥さんのご両親は、

さぞかしがっかりされたことでしょう。

弱いやつには強く、お山の大将になりたがる。

でも強い奴にはペコペコする。

そんなやつ、たくさんいるよ。

すごい

既に過ぎた事

今更振り返る必要はなし

極端に子供に貧しさをさせすぎたり、

なれない土地への転向や転居をさせれば、

性格が捻じ曲がっていくのかもしれない。

麻原が産まれてきた時代はまだ日本は

経済的に余裕がなく、貧しいのが当たり前だったから、

貧しさに関しては、耐える力はあったけど

なれない土地への転居や転向は抵抗があったんだな。

優生保護法

主な原動力は左道タントライニシエーションを

やりたいがためだろう   (^^♪

優生保護法。

あながち間違えでは無かったのかも。

父ちゃん子供作りすぎだろ。

はんとう文化ではあたりまえなのか?

しかも、のうのうと92歳とか。

せがれの犯罪も当然知っているのでしょうね。

たくさん子供が生まれる家系だ

こいつ自身 宗教施設の中で

女をあの大奥みたいな感じに

いつでも自室に呼び込んでいたんだろ

障害を持つと

執着心が強くなるんだろうね。

私の経験上そう思う。

学生の頃からせこい事をしていたようだな

ガキでもそういうのって

なんとなく分かるからな

意図的に支持を集めようとか

腹黒い政治家と変わらんな

そいえば学生の頃の人気投票見たいのがあって

何もしてないのに1位になったことがあったな

まじで何もしてないし別に人気者でもなかったのに

まじでビビった事があったな

人を騙すのは朝日新聞、

テレビ朝日でしょ。

偏向報道で印象操作。

永遠の(変質?)中二病。

ていうか、これについてったやつって、

お菓子で釣られたの?

空中浮遊写真が簡単に撮れる時代になったな。

今にして思えば、結局この麻原彰晃って人は

不幸に対する復讐のツールとして宗教を

利用しただけに過ぎなかったのだろうか?

宗教を隠れ蓑にして単に犯罪を

正当化しただけに過ぎなかったのでは、と思う。

一応は宗教者(解脱者?)ということで、

箔は付いてるが、宗教者じゃなかったら、

ただの犯罪者のおっさんに過ぎない。

×過ぎなかったでは⇒○過ぎなかったのでは

稀代の詐欺師がまた一人逝ってしまったな。

よく調べました。

コイツの兄弟は早死にしたり、

全盲だったり、ロクな環境ではない。

長い間のいろんなコンプレックスが

こうした歪んだ性格に

してしまったと思う。

勘違いでウソつきで、

金と権力が欲しかったの

だろうが、やってることが

とてつもなく悪徳過ぎた。

焼香はあるのかな (´⊙ω⊙`)?

昇降、症候、将校、消光

あさはら~しょうこ~あさはか

子だくさんは罪か?

二階によれば、子なしは

大罪らしい

松本は最初に執行されるだろうと

思っていたが、一気に7人は少し驚いた。

法務大臣は仕事を全うした。

遅いくらいだよ

上川さん、よくやった。

残りの分も粛々と執行しましょう。

まだ6人残っています。

速やかな刑の執行お願いします。

やんなきゃ意味ないよ

引き続き今後も極悪人の制裁をお願いします。

川上陽子法務大臣は立派です。

どんどん執行をしていって欲しいものです。

やっとか

あれだけ世間を騒がせた人たちだけど、

終わる時はこんなにひっそりと終わるんですね。

7人って、法務省、法務大臣頑張ったな




















Posted by びーがたらよーん at 03:02│Comments(1)
この記事へのコメント
>藤誠一死刑囚、LSDや覚せい剤など違法薬物の製造にあたっていた。

当時は民放でオウム幹部を寄せ集めた討論生番組が連日流行っていた。中には松本死刑囚本人がスタジオに招かれた番組が在った、約40年前に世間を騒がせた「イエスの方舟」“教祖”の千石剛賢イエス氏が、番組中に福岡から松本死刑囚にTV対談をすると言う実に面白い企画だった。

その千石剛賢イエス氏がTV対談中に、なにかを察したかの様に松本死刑囚へ、突然「あんた、クスリをやってるだろうっ」と質した。松本死刑囚は一瞬口ごもったが返事はしなかった。そのクスリを藤誠一死刑囚が製造してグルと共に手を繋いで一緒にあの世に逝ったのが七夕前と言うことだ。

革新派TVでは昨日、司会者と御用学者とTV専門評論家とセレブ弁護士が、「この時期になぜ、世界が驚く同日大量死刑、事件は未解明」などと、口を揃えて政府を一斉に批判していた。

彼等は、オウム真理教の化学兵器サリンガス散布に因る大量殺害事件の犯人を、単なる刑法違反の犯罪者と誤解してる。その誤解が在るから、「なぜ今、どうして7人も」と言う頓珍漢な生板の上で、死刑制度がなんちゃらと偉そうに見当違いの講釈を垂れている。

当時、日本のマスコミは「サリンらしきものが撒かれた」と犯人捜し報道をしたが、その地下鉄サリン散布事件を世界は「日本国内で戦争が起きた」と報道した。なぜなら、化学兵器サリンは戦争でしか散布をしないからだ。オウム真理教は、日本国に対して教団の国家転覆指針に基づいて、丸の内で戦争を仕掛けて来たと事実を判断するのが、正しい事件の捉え方だ。

オウム真理教が執った国民への無慈悲な毒ガス先制攻撃を、単なる犯罪視線で捉えた革新派TV報道は、事件の本質を読み誤っている。

死刑執行された7人は戦争犯罪人だ、その逮捕から身柄拘束に於いて最高裁まで民主主義行政手続きを踏ませて死刑処分にした法治国家日本は、戦争犯罪人に対して余計な人道的な処分を執ったことになる。

革新派TVは、同じ様な事件を世界の事例で観たらどうなんだろうか、自動小銃を乱射するテロとは次元が遙かに上回る。毒ガス死傷者が6000人余の戦争行為犯罪者と、テロ犯罪者を同一視して犯罪度合いを論じては駄目だ。戦争行為者は、問答無用で射殺するのが国際社会正義だ。

戦争を起こした者の開戦理由を解明しようとしても無理なことだ、今までの死刑囚13人の裁判証言ですら解明されていないからだ。なぜなら、彼等全員が開戦理由そのものが解っていないからだ。それが、グルから洗脳されたからとか見苦しい言い訳などは世間に通用しない。

洗脳されたとしても、そのグルはなにかの被害妄想で頭が満たされていたから、本人も開戦理由に自覚がないから心の奥底を探ることなど不可能だ。開戦理由が分かり辛い戦争の殆どが被害妄想が由来で在り、それが世界史なんだ。その象徴が第一次世界大戦の開戦で在り、未だにたった1人の男の為に1000万人がなぜ死んだのかの理由が解明されてない。
Posted by 坂田  at 2018年07月07日 15:20
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